愛があれば殴ってもいい?
最初は、
「まだ、暴力事件?」
と、
いち外野的にニュースを見聞きしていたのですが、
日馬富士の会見で、
私も同じことをしたのかもしれないと、
人ごとではないのではないかと、
思った次第でして、
それは、何かというと、
『礼儀礼節を重んじたばかりに、行き過ぎた』
という発言。
やっぱり、笑ってはいられない。
私も以前、転職したての中途社員預かり、
指導を請け負ったけれど、
その仕事に順応しすぎた私は、
なかなか順応できない相手に対して、
イライラして、
「なぜ、わらかないのか?」
「どうして、わかろうとしていないのか?」
・・・と毎日言葉の暴力を浴びせて
いたように思う。
結果、3カ月の使用期間を待たずに辞めていった・・・。
「礼儀礼節」とは、ある意味ルール。
ルールをしっかり守り、大切に思い、
それを指導することの役割が行き過ぎると、
『正しい』ことをしている正義感から、
身体や、言葉の暴力を発してしまうのかもしれない。
これを、臨床心理士の名越先生が、
「愛があれば暴力があっていいというDVに似てる」
と言っていた。
相手の事を思うからこそ、平手打ち、
相手の事を思うからこそ、蹴る、
相手の事を思うからこそ、ダメ出し、
相手の事を思うからこそ、罵倒、
相手の事を思うからこそ、叱責
愛があれば、
相手の事を思っているからと言って、
何をしてもいいというわけではない。
もちろん、放置もいけないし、
やさしすぎてもいけない。
思っていること、伝えたいことは、
正直でもいいけど、
納得、理解するのに相手のペースがあることを、
理解しなければならない・・・。
・・・と言い聞かせるので、あった。