メンタルの強さは「失敗を当たり前」と思うこと。
最近のスポーツ関連ニュースは、アメフトで話題が持ち切りですが、ちょっと前までは、大谷選手の活躍でもちきりでしたよね。
野球に詳しい方々が言っている二刀流がどうのこうのは、私には知る由もありませんが、成果を出している方の『考え方』にはとても興味があります。
この記事によると、やはり子供の頃の教育が影響しているようですね。
そして驚いたのは、お父さんがコーチングを実践していること!
お父さんがコーチングを学んだのかどうかはわかりませんが、お父さんは直接大谷選手に指導せず「野球ノート」なるもので支援していたようです。
そこで意識していたことは、2つ。
- 反省と課題の確認
- 課題に対しての改善案
加えて、失敗は当たり前と教育していたようです。
一般的に、反省と課題があるなら、指導者はきっと選手にこう聞くんでしょうね。
『どうして、できなかったんだ!』
そして、選手はこう言うんでしょうね。
『●●だったので、できませんでした。』
そして、そして指導者は続けて、言うんでしょうね。
『言い訳並べてないで、努力しろ!』
これは、何の解決にもなっていない対話です。そしてスポーツの世界でも、ビジネスの世界でも起こっていることです。できない理由を質問したから、素直に回答したはずなのにその理由を伝えたら激怒される。。
具体的な改善案や次への一歩を考えることも、議論することもできぬまま努力をすることになります。その努力がピタッと結果につながればいいのですが、なかなか外れたまんまで行動するとモチベーションが下がっちゃいますよね。
「失敗が当たり前」という価値観がベースにあれば、自分の課題を洞察することも改善策を子供なりに考えることも、さらにそれを自分でやってみて検証することも、今の大谷選手の成果には必要な経験だったように思います。
ここで、大谷選手はいいな~
とうらやましがる方もいるかもしれませんが、自分の成果を出したいならあきらめる必要はありません。大谷選手が子供のころから実践してきたことをマネして、これからの自分の成果に活かしていきませんか?ステップはたったの3つです。
- 反省と課題を洗い出すこと。
- 次の改善策を考えること
- 改善策を実行すること。
お試しあれ♪
相手の能力を信じて頼めば、必ずお願いする効果が得られます。
もともと、私はお願い下手でした。
なんでお願いできなかったんですかね。親の教育かな(笑)
「自分でできることは、自分でしなさい。どーしてもダメになったら、考えてあげる」と言われ続けて、「どーしてもダメになること」がなかったので、結果的にお願い下手になったようです。
きっと社会人になっても、どこまでが自分が頑張る範囲で、どこからお願い・相談したらいいのかわからなくなっちゃたんでしょうね。
とはいっても、もちろん、まったくお願いしなかったわけではないですよ。
でも苦手な部類だったと思います。人事担当者からも「甘え下手だね」と言われたぐらいですから。
そんな私が「お願いすることの意義」を感じたのは、女性の部下を4名ほど抱えていた40代前半の時期でした。部下を抱えていただけでなく、新規プロジェクトにも参加していて充実はしていたけれど、なかなかうまく立ち回れなかった。今思うとキャパオーバーだったんですけどね。どーも、やりこなしてみたかったようです。
そんなとき当たり前ですが、残業規制が入り、抱えておける仕事の範囲が限られてきて、上司から「もっと仕事を部下にふって、自分の仕事に集中しろ!」と指示が入ってきた。「そんなこと言ったって、部下だって大変だし、残業目いっぱいしているし、無理です!」って押し問答。
そうは言っているものの、どんどん仕事が積みあがっていく・・・中で、私が覚悟を決めて、部下に仕事をふることにしたのです。
『なさけないな』
『リーダー失格だな』
『私が支えてあげたいのにな』
そんなことを思いながら、会議室に全員呼びました。そして、まず、会議室に呼んだ理由とお願いしたいことを伝えたのです。言った順番はこんな感じかな。
1.もっとみんなのサポートしたいけど、時間がとれずごめんなさい。
2.今、私はこれだけの仕事を抱えています。
3.このままじゃ、みんなの話を聞く余裕が減ってくる。
4.そこで、今の仕事の中でいくつかみんなで分けて対応してもらいたい。
5.どうかな?
そう伝えたら、想定外の反応が(笑)
・どうしてもっと早く言ってくれなかったのか。
・私、これならできるので、やってもいいですか?
『ああ、なんて私のひとりよがり・・』
みんなの時間を奪うことばかり気にしていたけれど、みんなの能力をもっと信じてみればよかった。そのあと、残業が心配でしたが残業も超過することなく、仕事も収まる始末。・・・・?私が上司に訴えていたのはなんだったのだろう?と思うほどでした。
「お願いする」内容は同じでも、指示的に伝えるのではなく、伝え方、伝えるタイミング、意図・理由さえはっきりすれば、お互いハッピー!さらにお願いすることで、私が部下に「ありがとう」「助かった」と声をかける機会も増えて、部下も嬉しそうでした。
お願いするの価値を見直してみませんか?
ぜひ、お試しあれ♪
やりづらい、合わない人は、実は可能性を引き出してくれる人かもしれない。
新入社員として入社した会社は、正直人間関係に恵まれていて、言いたいことも言えたし、かわいがってもらったし大事にしてもらったし、こんなに自由でいいのかなというくらい、わがままに仕事していました。
この記事にあるような、自分にとって考え方や行動思考が合わない人は3社目の会社のとき。初めての営業経験だったにもかかわらず、私は素直じゃなく、なんだか変なこだわりがあって、『そんなことやったって数字にならない』『こんなことやっても無駄』『そんなことお客様に言えない』など、かなり狭ーい価値観で上司とやりあっていたのでした。
自分の価値観が正しいことを証明したくて、自分の考えで数値をつくりたいけれど、そう思えば思うほど、ノルマは程遠く、そして程遠くなればなるほど、自分の価値観を踏みにじられる。
逃げ場がなくなったとき、「そこまで言うなら、あなたが言っていることが間違っていること証明しますよ」的な勢いで、やけくそな気持ちでやってみると上司の言った通りの結果が待っている。
そんなときは、言葉にならない感情がわいてきます。
悔しいというか、してやられたというか、情けないというか、どうしたらいいかわからなくなるというか、自分のプライドの持って生き方がわからなくなっていました。
今、思うと、その時期があって本当に良かったなと思っています。
自分の考えでもうまくいかないことがあり、他人の考えを活かすことで、自分の考えの幅や仕事に対する器が広がった。ちょうど、20代後半の時期、それから仕事のチャンスもどんどん舞い込んできました。
学生の時期は自分と似たような価値観に囲まれて、それが当たり前だと思っていたけれど、就職するとそうはいかない。人事の立場からすると組織力をあげるために、あえて違うタイプを組織にそろえることもある。
ただ、今言えるのは、合わない人と触れることで、嫌だなと感じる人と触れることで確実に『なんでこんなことが起こるんだ?』という疑問が起きて、それに向き合っているプロセスの中で確実に社会人の、いや人間力の幅を広げるトレーニング開始してるのだ!
嫌だなから逃げることもできるけど、私自身過去振り返って、20代で嫌だと思って逃げてきたことは30代でも現れ、30代で見てみぬふりしてきたことは40代になっても現れる。どうやら自分のクセのようなものらしいのです。
なんども嫌なことに触れるくらいなら、早めに対処するが勝ちグセを身につけることにもなります。ちょっとだけでいいので、自分の価値観にこだわらず相手の考えも参考に行動してみて下さい。実はあなたの秘めている可能性が開花するかもしれませんよ。
お試しあれ♪
コンビニでのコミュニケーションから変えてみる。
以前、知り合いがこんなことを言っていました。
「私、コンビニで支払う時に、かならず目線を合わせて「ありがとう」って言ってるんだぁ。必ず、相手も目線を合わせて嬉しそうにしてくれるんだよね。」
「へぇ~、そんなもんなの?」と私。
コンビニの支払いで目線合わせる必要あるの?なんて考えていた私・・。この記事でとても反省しています。人間の本性はこういう何気ないシーンから生まれているんですね。
今思い出しましたが、私が20代のころ、初めてチラシやティッシュ配りをしたとき。とにかく冷たい視線を浴びたのを覚えています。視線だけならまだしも、手を振り払われたりとか、『いらない』って強く言われたりとか、「ただ、配ってるだけじゃん・・」って最初はチラシをまとめてゴミ箱に捨てたい心境でした。
でも、残念ながら、そういうわけにもいかず・・・。どうしたら、チラシを取ってくれるか、体の向きを変えたり、笑顔にしてみたり、言葉がけを変えてみたり、いろんなことを試してみたのです。確かにそのとき、つらそうな会社員が多いな~なんて思ってたっけ。
そんなときの何気ないひとことって、たまらなく嬉しくなるんですよね。「お疲れ様」とか、「ありがとうございます」とか、なんなら無言でチラシをとってチラっと見てくれるだけでも嬉しいと感じる。大きな声で「あざーーーーーーーっす!」って言ってる自分がいました。
コンビニに行くと、店員さんが明るいところと暗いところがあって、利用するものとしては明るい店員さんのお店に足が向きがちですが、暗い店員さんはその店員さんが原因ではなくてお客様がつくっていることもあるかもしれないですね。
がんばって仕事をしようと思っていても、さまざまなお客さんのタイプと向き合って、何も悪くないのに「チェ!」って舌打ちされたりとか、急に大声出されたりとか、そんなストレスを抱えながら立ちっぱなしで仕事をしているかと思うと、見方も変わります。決して簡単な仕事じゃないことがわかります。
そうすると、視線も目線も、かける言葉も変わってきます。
これはコンビニを題材としていますが、ビジネスにおいても当てはまります。なんでもかんでも「いい人」になりすぎる必要はないけれど、目の前の相手とうまくいっていないなら、自分の中にある『普通ならこんな選択しない』に振り回されずに、ちょっと立ち止まって、相手が自分と違う価値観を選択してしまう状況を想像してみてほしいのです。
それはあなたを否定しているのではなく、その人がそうするように経験してきたからかもしれません。まずは事実に向き合ってから、次のステップに向かってみてください。
お試しあれ♪
必要に感じるお叱りは感情的ではなく、計画的に。
目指すべき理想の上司は「キャバクラの店長」って、面白い表現だなぁ。・・と、とても興味を惹かれました。まぁ、キャバクラってのが男性的な言葉のような気もしますが・・。
理想の上司の表現に興味ももったのですが、「部下に最も嫌われるのがキレるポイントが分からない上司」というのにも納得です。
今の企業では「パワハラだと思われたくない」「人事からちゃんとほめるように言われている」上層部が、とってつけたような誉め言葉で育てようと苦しんでいます。
実際、管理職研修に出向くと「褒める要素がない部下にどうほめたらいいんでしょうか?」そんなご相談も受けます。残念ながら、ほめるためのほめるになっていて本来の意図が伝わっていないなぁ・・・と感じています。
ほめれば頑張るのか?
人間はそんなに簡単な方程式で成り立ってはいません。言葉にならない何かに支配されています。だからこそ、リーダーは人間関係のトライ&エラーに挑戦してほしいと考えています。
同じ失敗でも「キレるポイント」が昨日と今日違えば、好き嫌いや感情的で物事を言っているように受け取り、部下は身動きがとれません。何にキレているのか相手が理解できるように関わらなくっちゃ。
昭和の人間なら、上司の様子を見て「ここが怒りポイントだな」というのものを理解しようと努力しますが、平成の方はその創造力が乏しい印象を受けています。
「創造しろ!」は指示命令より、きつい命令です。不安が生じます。
必要なお叱りは、感情的ではなく計画的に、そして意味のあるものであることを理解してもらいましょう!
私も女性の部下を抱えている時に、毎日「なんでこんなこともできないの?」と怒りを抱えていた時期もありましたが、新入社員や新しく異動してきた社員に私と同じペース、理解度で仕事をしろ!というのも違うかな?と思い、『3回ルール』というのを決めました。
その3回ルールとは、『3回は間違ってもいい』というルール。
私自身もいい意味で部下に期待をしなくなったので、イライラが減りました。そしてこのルールを設定することでネガティブな緊張感が減り、ミスをしたら改善案を考える前向き思考に変わったんです。結果どうなったのか?2回間違うことはありましたが、3回も間違うことはありませんでした。
最初から完璧を目指すと、結果的に完璧な状態が手に入らないかもしれません。人を育てるには、ほめるだけでなく計画的なアプローチを心がけてみてください。
お試しあれ♪
怒られることを避ける人は、結局怒られる。
コミュニケーションなんて、鍛えるものだと思っていなかったですね。
なんとなく、キャラクターとか勢いとか、雰囲気とか・・・学生の延長でなんとかなると思っていましたが、営業を経験したころからかな・・キャラクターではうまくいかないことを理解しはじめたように思います。
改善を促す指導やアドバイスの言葉にピンとこなくて、20代、30代を過ごし40代に入ってコーチングを学び、「言葉のもつ影響」の理解が深まったんです。
ほんと、この記事のタイトルにあるように「以心伝心は幻想」ですね。誰しも、これぐらいわかるよね・・と言いたいところですが、以心伝心はあり得ない。わかっていないところから始めないと、コミュニケーションを楽しむことはできません。
この記事を読んで、ぜひ実行してもらいたい!と思ったのは、メモを取ることではなく、質問すること。
『こういう理解でいいですか?』
『それってこういうことですか?』
『ここまでできれば大丈夫ですか?』
相手から聞いた話に不安を感じたり、自信が無かったり、するときは、クローズドクエスチョン(YESかNOかで答えられる質問のこと)で相手に質問してみる。
こういう理解とか、それってとか、ここまでなんていうのは、極端なことを言うと当てずっぽでいい。そうすると相手があなたの理解レベルを理解することができる。
もしかしたら、「ぜんぜん聞いていなかったのか!」「それじゃダメだよ」なんてダメ出しされるかもしれない。でもわからないまま、仕事を続けて報告した時に、『こんなふうに言った覚えはない』といって怒られるよりは、最初にきいておいた方が手戻りの時間がなくなります。
どうせ、怒られることなら、最初に聞いておけ!です。
意外とこれができずに、コミュニケーションを苦手とする人が多い。つまり「怒れられたくない」を避けた結果、結局、怒られるというシチュエーションが待っている。
人は誰しも、自分ができないことをつきつけられるのが嫌だけど、新しい仕事、新しい職場、新しいプロジェクト、未経験に参加するときは誰しもできないのが当たりまえ。相手の期待が大きいと、「なんだよ、そんなこともできないのか」って言われるかもしれないけれど、それを言っている人はその言葉を出すことで面目を保っている・・ということだけです。
今、スキルを持ち合わせていないこと、今、できないことを避けずに向き合って、早い段階で完成形を理解できれば、報告した時には「感謝の言葉」が待っています。・・待っているはずです!もし厳しい言葉が返ってきたら、あなたへの期待が相当大きい証拠です。
その期待が何なのかを理解して、自分の可能性を広げていってください!
お試しあれ♪
速度至上主義からの卒業と成長
この記事タイトルを見て、ギクッとしました。
私も速く歩くタイプなので、自分のペースで進まないと、自分がつまづいたりぶつかったりで、「ん、もう・・・」とイライラしちゃうことがあります。
さらに石田氏のこのコメントが胸に刺さりました。
速度至上主義はもうそろそろ卒業しませんか。(中略)いちいち腹を立てるのは、あなたが歩き遅い人を「だらしない」「体力がない」と心の中で切り捨てている証拠です。
今までの私の働き方は「速度至上主義」でした。それは悪いわけでもなんでもなく、ベンチャー企業で右肩上がりの職場で仕事をしていたので、とにかくスピード重視で結果を追い求めていくのがスタイルだったように思います。
特に、自分が成果を出し続けている時は、それが当たり前になっていて、うまくできないひとには手を差し伸べるというより無意識に切り捨ての気持ちをもっていたのかもしれません。
そんなワークスタイルが、普段の生活場面ででてくるとはこの記事を読むまで気づかなかったな。
きっと、この記事の相談者も周囲の期待に応えてきたからこそ、厳しい目線が育ったのかもしれません。ただその厳しい目線は、何のメリットにもならないということです。
職場でもこの速度至上主義がマイナスに運ぶときがあります。管理職やリーダーが部下を指導するとき、当然部下のほうがペースが遅いわけです。理解度が低いときもあるわけです。自分と同じ年数、働いてきたわけでも、経験したわけでもないのに、自分のペースについてこれない人に、どうしても言っちゃうんです。
「なんで、こんな簡単なこともできないわけ?」
あなたが、成長が遅いと感じている人を切り捨てている証拠です。
あなたが、「上」の立場でいることを楽しみたいなら、ぜひ言い続けてみてください。
指導者として成長したいなら、部下の現状をヒアリングして足りないことをどのように支援するか考えてみてください。その関係性が、個人の結果だけでなくチームとしての結果を導く要因となります。
お試しあれ♪