ビジネスコミュニケーションのあれこれ

ビジネスコミュニケーションのヒントになるような記事ピックアップして、実践的な考え方や気づきを綴っています。

残念ながら、人はなかなか思い通りに動いてくれません。

・私たちは、赤ちゃんに笑ってもらいたいとき、

「笑って♪」とは言わない。

何をしているかというと、ほとんどの大人が、

赤ちゃんを見て笑ってる。

 

なぜ、そういう行動をするかというと、

赤ちゃんがどうしたら笑うかしっているから、

そういう行動をとっている。

 

・お母さんは、子供に勉強してもらいたいとき、

「勉強しなさい!」と言う。

勉強しなさいと言われて、勉強する子供は、

怒られたくないからという理由で勉強する。

 

だから、お母さんはずーーーっと

怒らなくちゃいけない。

 

勉強が面白い、楽しい、わかるが揃うと、

お母さんはガミガミ言わなくて済む。

そういう意味では、最近ブームの「うんこドリル」は

お母さんの味方ですよね。

 

・先輩は後輩に、

「そこがお前のいけないところだよ。」って、

いけないところを指摘すれば、伸びると思ってる。

 

自分が後輩だった時、

そう育てられた人もいるかもしれないけれど、

指摘されても、どうしたらその課題がクリアできるか、

想像できない後輩は育たないどころか、

自分を責め続けることになってしまう。

 

 

・何を伝えたかったか?というと、

「目の前の相手は、なかなか思い通りに動いてくれないよ。」

ということ。

 

「やりなさい!」と言っても、

「そこがダメじゃん」と言っても、

相手は素直に動いてくれない。

なんといっても人間には感情と言うものがありますからね。

なかなか相手が動かないなら、相手の気持ちを理解する

ところから始めてみましょう。

 

・どのように理解するのか?というと、

まずは、『相手の視点を試してみる!』

 

「例えば、お母さんなら」

*子どもから、もっときれいに掃除してよ!

もっとおいしいごはんを作ってよ!と言われたら、

やる気になるでしょうか?

「例えば、先輩なら」

上司から、お前の育て方がダメなんじゃない。

お前の伝え方が悪いんじゃない。と言われたら、

やる気になるでしょうか?

 

どう言われたら、やってみよう!という

気持ちになるか、考えてみてください。

青春って何だろう?

・「青春ってなんだろう?」

昨日「めちゃイケ」最終回で、

ナインティナインの岡村さんが

 

めちゃイケは青春でした!』

って、叫んだ時に、

 

「そうなんだ、めちゃイケは青春だったんだぁ。」

「いいなあ、こんな年齢でも青春って。」

「ん?青春?」

「青春ってなんだ?」

といつもの癖で、考え始めたわけでございます。

 

・私が青春時代を感じていたのは「高校生」かな。

寮生活する中で、

喜怒哀楽が激しく揺さぶられた時期だったと思う。

 

*恋愛を楽しんだり、

*できることじゃなく、やりたいことを探したり、

*将来の夢を語ったり、

*小さなことでケンカしたけど、仲直りできたり、

*いきがってたり、

*いいたいこと言ったり、

*一生懸命だったり、

*ストレートにぶつかり合ったり、・・・

 

社会人になるとよくもわるくも

客観視することを求められるし、

すっごく怒ることも、

すっごく喜ぶことも、

すっごく楽しむことも、

子どもっぽいと思われてしまう。

 

 

・昨日、「めちゃイケ」が22年間の幕を閉じましたが、

ある意味、喜怒哀楽を発揮できた場所なんでしょうね。

それが、大人の判断軸で卒業式を迎えることになったのかな。

そんな風に出演者のひとりひとりのスピーチを聞きながら、

感じておりました。

 

 

・大人になることで視野は広がるけれど、

どこか、

自分の子供っぽさを受け止めてくれる場所があることで、

人としての寛容さが育っていくのではないかと思うのです。

 

「なんでできないの?」という言葉ですぐに成果は出せない。

■「なんでできないの?」と質問している時、

質問している側の思いには2つのパターンがある。

 

ひとつめは、「できるはずなのに、どうした?」という期待を込めたパターン。

ふたつめは、「何モタモタしてんだよ。もっと努力しろよ」という追い込みのパターン。

 

■まだやり始めで、やる気もある時期は、

「これがあれば解決する!」

と解決方法を見つけて努力もできるけれど、

それでも相手が望んだペースで成長できないと

「なんでできないの?」になってしまう。

 

■昨日、TV番組金スマYOSHIKIとTOSHIが離れていく、その対話を見ながら、これ企業内でもよくある光景だな。

と感じながら見ていたのでした。

 

YOSHIKIは、天才肌なのでしょう。

センスもあるのでしょう。

そして夢は大きく、ビジョンを掲げて

上に向かっていく人なのでしょう。

 

■だから、自分が認めた仲間は同じ感覚だと信じているし、みんなも憧れの人からそう思われたら、期待に応えたい。

その期待が過度になってくると、

期待に応えられない苛立ちと、

期待していくる相手への怒りが入り混じって、

チームがバラバラになり、成果が出にくくなってくる。

 

■そんなとき、リーダーはどんな接し方をしたらいいのだろう?

正解はひとつじゃないけれど、もし同じメンバーでやっていくのであれば、相手から感じる違和感に対して、声を掛ける必要がある。

放っておいたり、ただ「がんばれ!」だけでは、がんばろうという気持ちより、「何やってるんだろ?」と相手は反対方向を見てしまう。

 

同じメンバーでやっていきたいけれど、

このままだと相手の能力をつぶしてしまいそうなら、相手にしっかり現状を伝えなくてはいけない。そして必要に応じて、判断が必要になることも・・。

 

■「なんでできないの?」

質問している側は、どんな思いであれ本来はすぐに成果がでることを期待しているが、この言葉で奮い立つほどハングリーな人は少ない。

どちらかというと、結果は逆方向にいくことのほうが多い。

 

■その言葉が出そうになったときは、

自分が成果に対して焦っている時!

効果的に成果に結び付けたいなら、相手を責める時間ではなく、相手と何がズレているか話し合いの時間をもつ必要がある。

本当に成果を出したいなら、

そんな冷静さがリーダに必要なんだと思う。

 

ドラマ「アンナチュラル」から感じたダブルバインドの技法

昨日、TBSドラマ「アンナチュラル」の最終回。

 

26人もの連続殺人犯・・・であろう容疑者を、証拠不十分で殺人犯にできない・・・。どんな展開になるのか、楽しみにしておりました。

 

最終的に「証拠」ではなく、「感情」に訴えかけた石原さとみのいや、法医学者ミコトさんの証言がお見事!

 

これは、ダブルバインドの技法でした。

ダブルバインドの技法で、イメージしやすいのは取調室で「お前のかあちゃんは今頃泣いているだろうなぁ~」みたいな感じです。

 

俺は殺していないと言い張る容疑者。

それに対して証拠が少ない状況。

少ない「証拠」だけで、相手が犯行を認めなかった。

 

それに対して、ダブルバインドで何をしたか?

相手を責めるのではなく、相手に同情をしたのです。

 

容疑者は、とにかく「やったのか?」に対して「NO」と言う。

「NO」と言い続ける相手を混乱させるために、「NO」と言ってもいいように答えを導き出す。

 

「あなたが、こんな犯行をした事情や背景を考えたら同情します」と。

 

「同情するな。」

「同情される覚えはない。」

「同情される必要はない。」

「俺がやったんだ。」

 

押してもだめなら、引いてみな。

そんな言葉がありますが、一般的に人間関係の中でも、押し続けてうまく引き出せていないケースがあるのではないでしょうか。

 

「だから、このほうがいいって言ってるじゃないですか」

「なんで、こんな間違いばかりを繰り返すんだ!」

「どうしてこの間教えたことができないの?」

 

いくら自分が正しいとしても、相手を責める表現をすれば、相手から前向きな言動は得られない。関係作りは、厳しすぎても優しすぎてもいけないれど、押し続けて「効果」が得られなければ、引くアプローチもしっておいたほうがストレスはたまらない。

 

だからこそ、感情的な判断にならず、ニュートラルな気持ちをキープしながら相手との関わり方をつくることを試してもらいたいと思う。

相手が安心して話すのは、明るさよりペーシング。

コミュニケーションとは、本当に難しいものです。

 

良かれと思って伝えても、相手がそう思わなければ自己満足にしかならないし、相手を動かしたいと思っても動かないけど、諦めたら動き始めたり・・・。

 

そういう意味では、コミュニケーションも人生もコントロールに力を入れすぎると、結果が遠のいてしまうことがあります。今日、そんなことを思い出しました。

 

英会話学校で営業をしていたとき、私の成績は「不安定」のレッテルを貼られていました。パターンとしては、月初はうまくいくのに月末にかけて失速してしまう。それはリーダーからすると、「気のゆるみ」「それくらいでいいと思っている」「結果に執着していない」と映ったようでした。

 

もちろん、私はそんな気持ちでは仕事はしていません。

 

成績は上げたいし、ほめられたいし、うまくいかないことは悔しいし、何とかしなくちゃとは思っているし、このままじゃだめだって焦ってるし、でも残念ながら前向きに取り組む姿勢が『楽観視』しているやつと思われたようです。

 

焦れば、焦るほど、お客様をほめちぎる。

焦れば、焦るほど、明るい雰囲気、楽しい空間、持ち上げアプローチをする。

 

その時は、いい状態をつくることに努力をしていたと思っていたけれど、それは一般的には正しい考え方であって、お客様に合わせた対応か?と言われると、結果が物語っていたようにお客様を見ていなかった対応だった。

 

なぜなら、その頃、「ほめる」=馬鹿にされていると感じる人がいることを知らなかった。明るく話すことより、落ち着いて話したい人がいることを考えていなかった。相手に誠実に向き合うというより、『楽しい場にしよう!』という考え方が幼くて、真剣に英語をマスターしようと考えている人には合わなかった対応だったのかもしれない。

 

何が正しいかなんて、わからないけど、

今頃わかってどうすんだ!というのもありますが、コミュニケーションを研究している身としましては、「明るい」「楽しい」を提供することがすべてではなく、人は自分のペースに合わせてくれる人に共鳴を感じるもの。。その重要性を感じたのでした。

一万回の法則から考える、自分のペース。

人の当たり前はどこから作られるのか?

本日の出会いは、そんなことを感じさせてくれた受講者でした。

 

『やはり一万回もやると、身体に沁みちゃっているものですね』

 

と、学生時代に競技ディベートに打ち込んだクセが「コミュニケーションのあり方」にでてしまっているようでした。

 

悪気なく、「なんで?」「え?なんで?」「どうしてこうなっちゃうの?」

勝負の場でコミュニケーション力を身につけてきた背景から、そんなつもりはないのに、『相手を打ち負かす言い方』になっていたようです。

 

だからコミュニケーションを円滑にするための「あいづち」や「うなづき」も欠けて、かつ相手のペースを崩しちゃう。。。無意識に「俺の話についてこれないなら、がんばればいいだけじゃん」とダメ出しの視線を送ってしまう。。。

 

『ああ、それが相手との距離感を作っていた原因だったんだ・・うわぁ、うーん相手にペースを合わせなきゃいけないんだなぁ。。ふう。』

 

全て自分が基準で物事を捉えてしまうと、自分と同じペースで行動できない人や考えられない人と波長が合いません。波長が合わないだけでなく、仕事が円滑に進まない、成果が出ないことにつながってしまいます。

 

過去、私にも似たような上司がいました。

 

いつもコミュニケーションを取るときは、怒り口調で周りを不愉快にさせる、何事にも熱血タイプな関西人。やっぱりコミュニケーションは、どんなときでもボケとツッコミが必要な方でございました。いい話も、悪い話も、あいづちよりキャッチボールのごとく自分のペースで押し倒してくるようなタイプだったんです。

 

正直、「めんどくさ」と思っていましたが、彼にも悪気はなく、コミュニケーションのキャッチボールはただの愛情表現だったようです。(少しだけ相手のペースを理解してくれたらよかったんですけどね。)

 

自分のペースは、無意識に作られていきますが、そのペースが合わない人とでくわすと相手を非難しがちです。・・・がたまたま自分のペースと合わないというだけで、相手が悪いわけではありません。

 

そのズレたペースをどのように活かすのか?ズレたままにするのか?すり合わせするのか?お互いのペースを理解して、どう役割分担するのか?

そう考えるだけで、日ごろのストレスは軽減していくはずです。

脳みそかっぽじって、腐るほど考えてみろ!

新卒採用のプロジェクトに参加したとき、

その時のリーダーがよーく言っていた言葉が、

 

『脳みそかっぽじって、腐るほど考えてみろ!』

 

でした・・・(笑)

かなり強烈・・・。

 

ソフトバンクで異例の3000人採用。

孫さんが言っちゃったからという理由で集まった、寄せ集めのプロジェクトメンバー。

未だ経験したことのないことを、共通のゴールに向かっていかなくてはいけない。

 

経験のせいで、できないとは言えない。

時間がないことで、できないとは言えない。

年齢、性別で、できないとは言えない。

 

どうしたら、効率が良くなるのか。

どうしたら、ミスが出ないのか。

どれだけの時間をかけたらいいのか。

どんな人の助けを借りたらいいのか。

何が無駄で、何が必要なのか。

 

今なら、

こんなにたくさんの問いがでてくるけれど、戦略とはほど遠い仕事の働き方をしていた私にとって『脳みそ、腐るほど考える』ことがどれほどつらかったか・・・。

 

そのプロジェクトの成功を導きたいから、「やり方」「進め方」をリーダーに相談すると『考えろ!』と一蹴。

 

「やりながら考えるタイプ」の私には、「考えてから選択肢を広げて、最適案を選択して動くこと」のつらさを味わった経験でした。

 

『考える』って何だろう?

そこに疑問を持ち始めたのもこの頃からですね。

 

何度も出演させちゃいますが、甥っ子くんは上司に「社会人として成長していない」と指摘され、やっぱり『自分で考えろ!』と言われています。

 

今、私の年齢でいえば「学生と社会人の違い」は言葉にすることもできるし、具体的にこういうことだよ。ということも説明できますが、21歳の・・まだ社会人1年生で・・上司の指摘に素直に取り組もうとしているのに、「そんなこともわからないのか!自分で考えろ!」というのは、多少なりとも疑問を感じる私がいます。

 

もちろん、なんでもかんでも聞いてくるようでは、甘えが見えますが、せめて「やり方」ではなく、『考え方』を教えてるのも指導の一つではないかと思うのです。

 

子どもは・・いや学生は・・いや日本の学生は・・、「やり方」を学ぶことが中心です。そして、「やり方」を学ぶように仕向けているのは大人です。このやり方であれば何点とれる、合格する、・・・そのやり方が効かなくなるのが『大人の壁』なのかもしれません。

 

答えはひとつではない。

だから、いろんな人の考え方をヒントに、

肯定的に考えていくことが重要だと

感じるのです。